タイトル
株式会社鹿熊組の歩み


大正2年
6月5日
創業
土木建築請負業鹿熊組誕生
所在地 新潟県西頸城郡小滝村
大正3年 長野県の登録業者となる。
本社を長野県下水内郡飯山町本町1189番地に移転。
長野県下水内郡柳原村において大川中土間の県道改修工事
新潟県の信越本線鯨波駅拡張工事等を請け負う。
大正4年 千曲川河床整理工事(現在の飯山市上境)
野野海川護岸工事 (現在の下水内郡栄村)
柳原村大川県道工事 (現在の長野市柳原)
長丘地籍河身整理工事 (現在の中野市笠倉)
等を請け負い、その後鬼無里、白馬方面にも展開し、北信地方全域に地盤を拡大。
大正7年 南佐久郡小海において、佐久鉄道第3期線羽黒小海間建設工事
大正8年 北佐久郡北御牧村県道改修工事のほか数件の工事で佐久地方にも拡大していった。
大正9年 栃木県足利において両毛線足利、富田間の災害復旧工事。
大正10年 秋田県由利郡像潟町(秋田県南部)で発電所工事。
東京では、山手線第8上区改良工事を施工し、長野・新潟のみでなく関東・北陸への事業展開を行う。
○東京営業所開設
数年にわたり、山手線の工事を施工するとともに、後に建築工事も積極的に行い、現在に至る。
鉄道工事で営業拡大
上記のように、初期においては鉄道・道路・河川工事を行ったが、主として鉄道工事で営業範囲の拡大を図った。
大正11年 大型建設工事の担い手に
鬼無里村発電所工事を請け負い、ダム・発電所・送電線工事の全てを施工し、西山地方に文化の火を灯す一役を買った。
この後にもいくつかの発電所工事やスノーシェード工事を手がけている。
大正12年 橋の鹿熊組
上田橋新設工事を請け負ったのをきっかけに、その後、橋の鹿熊組として野沢橋・木戸橋など県内各所において橋梁工事を施工している。

上田橋
(大正13〜14年)
大正14年 建築工事で県内の代表的工事を
飯山高等女学校本館新築工事を請け負う。
これは、長野県における最初の鉄筋コンクリートの学校建築であり、これを機会にその後東京および長野県内各地で本格的な建築工事を請け負うようになる。

飯山高等女学校
(大正14〜15年)
昭和6年 本社長野市へ移転(現在地)
本社を長野市緑町1631番地へ移転。
飯山を出張所とする。

小海線 小海・松原湖間
(昭和10〜11年)
昭和24年 災害復旧で社会に奉仕
デラ台風、キティ台風で長野県全域にわたり大災害に見舞われ、特に長野市においては、裾花川・犀川の堤防が決壊し大被害を受ける。

樽坂スノーシェード
(昭和10〜11年)
昭和58年〜昭和61年 その後も毎年のように災害が発生し、最近では、飯山地区の千曲川の氾濫、地附山の地滑り等が発生したが、これらの救助活動、災害復旧作業に際し、会社一丸となって、昼夜を分たず活躍し社会に奉仕している。
地附山深基工
(昭和61年)
昭和から平成へ 高速交通網整備が北信地方へ北上するとともに、平成3年には1998長野冬季オリンピックの開催が決定。オリンピック施設として、ボブスレー・リュージュコース、オリンピック選手村、柳町団地メディア村の他、長野駅東口地下駐車場及び駅前広場、浅川ループ橋等の大型工事を手がけ、高度な技術力を発揮するとともに、技術力の蓄積をした。
長野大町線(オリンピック道路〈安庭〉
(平成2年)
21世紀を迎えて オリンピック後の建設環境の厳しさに耐え、蓄積された技術力を駆使して、お客様の信頼とニーズに応えるべく全社一丸となって邁進している。
平成13年12月全国に200の加盟店で戸建住宅年間3,000棟の実績をもつロイヤルハウス本部とフランチャイズ契約し、ロイヤルハウス長野中央店として住宅事業に参入する。